(2年前に書き溜めたものの記事たち)
何者かになることが目的ではない
あなたは 夢や やりたいこと、なりたいもの、
自分探し、自己探求をされたことってありますか?
その対象って、
人生レベルで求める度合いが大きければ大きいほど、
その求めるものが好きであればあるほど、
それは時に感動が強くなったり、
無条件に心が反応したり、惹きつけられたりしますよね。
でも、それほど心は躍動しているのに、
向かおうとしても
いつの間にかブレーキがかかったり、
強烈に魅かれてはいるのに、
どこか無意識下の深い所では、
完全にそこに向いて一致していないなにか
を感じたり、
そして同時に、他を探そうとしている自分も
同居していたり…
みたいなことってあったりします?
それにはやはり現実的にみて、
不安や恐れ、現在 未来のお金のこととか
複雑に絡み合ってブレーキが
かかってしまうのだろうと思うのですけど。
趣味と仕事、自分がそれを好き、人に提供、
ただ自分がやりたいだけ、
好きでやりたくて、それが仕事としても
成り立つ 成り立たせる。
もうこれらがごちゃ混ぜで境界線が
ない状態。
都合のいい所はみるけど
都合のよくない所は受け容れない
となってしまっているから、
強烈に好きなのだけど、負の側面が湧き出てきては
できないやらない理由を見つけてきたり。
スパッと早く境界線を引けたらいいのですけど、
そうではないから ごちゃごちゃ複雑になって
葛藤したり、、、
「それは私の場合は音楽でした。」
10代の頃から色々聴いてきて、
憧れ、感動し、時に魂が震え、
強く大きなものを感じてきました。
なのに心の奥の方では
別のなにかがあるような気がしたり、
引きつけられながらブレーキを踏んでいたり、
できない言い訳を集めたり、
まぁ゛ぁあ 潔くない ったら , , ,
自分でも嫌気がさすほど往生際が悪く、
気持ちだけが独り歩きしては止まり、
と繰り返していました。
そして他に見出そうとしたり
なんやかんやと
長らく迷走し続けました。
それでようやく気づいたのですが、
本当に音楽をやりたい
のではなく、
(やりたいですけどここでは人生の道としての意味で)
音楽を通して
メッセージをキャッチしていたのだと。
その発せられる発信する人たちの
“言葉 想い 感情 人生観 社会性”
“葛藤 挫折 成功 人間模様”
などを敏感に感じ取って、
それにより自分もそこに重ね合わせるかのように、
感化されたり
同調 感情移入したり
エネルギーを感じていたのです。
そのエネルギーが強大であればある程、
魂が興奮したり
感動したり
と同時に、
その後 沈んだり辛くもなったり、
もう何と言うか 表現しきれないのですが、
「人間ドラマ・人生が凝縮された縮図」
を観て聴いて感じて、
追体験していたというのもあったのかもしれませんし、
“自分もやりたい想い”
それだけ強く感じるのだから
“自分もそう成りたい”
という風に、、、
でも完全一致しない奥の自分との狭間で、
ぐるぐるリピートしていました。
しかし
自分にとって音楽そのものが道として
見出すことになっていくもの、
なのではなかったのです。
やりもせずに何を言ってるんだ
という話でもあるのですが…
“本当に触れていたもの 触れようとしていたものの根幹”
にようやく気付いたのです。
それは
全てを司っている大元
「心 思考 感情 精神 意識 魂」
だということ。
「音楽」を通してそこをみていた
ということに気づきました。
音楽自体 今も変わらず本当に好きなのですが、
それを感じ取るのに自分にとっては
「音楽」を通して であった訳で、
いま思うと、
精神、落ちてる時は
選ぶ音楽も激重で、そういうものを聴いて
入り込んではさらに深みにはまっていき、
そういう時期はその自分の周波数が
そういうものを引き寄せ、感化され、
シンクロしていました。
似たような概念に
「類は友を呼ぶ」
がありますよね。
今だからわかりますが、
「波動の法則」
「引き寄せの法則」
が働いていて、
そして先ほどの、
音楽自体そのものではなく、
その根幹 をみていた感じていた。
というのが真実だったのです。
なので、
振り返るとその時々の自分の状態
がそれに応じた音楽にリンクしていました。
他にも、ちょっと似てもいますが
また違うようでもありますが、
これも今だからわかるのですけど、
人はなにか欲しい物質を購入して、
それそのものではなく、
それを手にしたことによる
満足感
利便性
人からの見られ方
ステータス
ライフスタイル
をそこに真に価値や喜びをみていて、
(もちろんその物質を欲しいし手に入れて嬉しいのですけど)
深層心理としてはその奥であったりします。
それを得ることによる感情を感じたり体験を
していることが本当の目的だということですね。
こういうことに気づき出すと、
執着や過剰な恐れが
なくなってきたりします。
「手に入れる」
とか
「何者かになる」
とか
そういうのが対して重要では
なくなってもきますし。
最後に、
あなたは そんなフィルターやレンズ越しに
奥深くの真理に気付いて“ハッ”となった
ことはありますか?
同じものや物事でも、
みる角度や、みえ方 捉え方、真意が変わると、
全然違ったものになってくるものですね。
それでは今回はこの辺で
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