自己受容
このテーマでは、自分で自分を ✖ としているもの
裁いているものですね。
自己否定・自己評価・無価値観・自虐・罪悪感 など
ダメ・NG・制限 して嫌と思っている所、
見たくない所、比較してしまう所、認めたくない所、
受け入れようとしてこなかった所、
過小評価や阻害しているもの、
そんなグサグサとやっているものを解放して、
“もういいよ”
“そんな自分もOK”
“それできていなくても大丈夫”
“弱い所も 強がる所も 格好つける所も 恥ずかしがる所も 丸ごと全部 自愛して”
という風に、否定してきたものを、
認め、許し、受け入れ、 〇 にしていきます。
しかし決してこれは、
諦めるとか、妥協するとか、放棄するとか、
楽しかしないとか、だらしなくても平気とか、
のニュアンスではありません。
余計な力みを緩め、執着を手放し、
自分責めから解き放たれて、
自分が自分の最高の味方、理解者、
どんな自分自身をも愛して、
大きく広く在れる様。
この様な意味合いのスタンスです。
リストアップ
以下は私が過去に、集中ケアで解放していったプロセスで、
“もう許して”
これまで散々上手くいかない方の体験は十分やった。
“もう抜け出そう”
そんな風に思いました。
そしてそれまで向き合ってきたもの、
その時向き合っていたもの、
解消したもの、解消過程のもの、
これらを一蘭にまとめました。
そして、
「認め」
「許し」
「受け入れる」
と、自分で包み込みました。
内容は、こちら↓の中の一蘭と根源的なものは同じです。
マインドブロック ブレーキ外せます!自分で気づけば変われます!
私の当時のリストアップを下記に載せておきます。
ご自身の内容に置き換えて書き出してみて下さい。
無意識に自分で自分を、
痛めつけたり、責めたり、否定したり、
これらに気づいて
「解放してあげよう」
認め、許し、受け入れる
という事を意識的に意図的にやると、
“すごく救われた気持ちになります”
“今まで見えていなかったものが見えてきたりします”
“何気ない日常の中の小さな事に喜びや感動が自然と出てきます”
“あらゆる事が当たり前ではない尊さや有難みに気づきます”
“押し込めてきたものが長期で深い程 解放の涙が溢れてきます”
言語化するとこんな言葉の表現になりますが、
これはもう感覚的なもので、
感情がすごく動きますし、
グググッとボトムアップされる様な感じです。
いつの間にか自然に流れる様に
潜在意識が書き換わっていたりします。
〇どうかご自愛下さいませ〇
以下に私が制限してしまっていた事をいくつか書いています。
こういった、後天的に形成されてしまっていくもの
その根源は、幼少期にある事が多く、
ネガティブな体験→負の感情→思い込み→信念→固着→自分像
こんな風に「ある大元の何か」から
自分の世界というものができていくのです。
もちろん先天的なものも大きいですし、
遺伝や一族的なもの、先祖からの受け継いでいる
影響も多大なるものであると思います。
ここでは後天的なものをテーマにしますが、
是非一度、記憶を辿って回想してみて下さい。
今の自分自身を創っているのは、
あの時のあれ、あそこであれがあったから、
あの時、この時、その時、
あれが、これが、それが、
要因がみえてきます。
紐解いていくと点と点で繋がっています。
今が結果としたら、必ず原因はあります。
そしてそれは過去にあります。
表面的に思考のみで思い出していくのには限界はありますので、
深い意識にアクセスしていったりするのですが、
掘り返していくと、地表にはみえない
根深いものがある事がわかってきます。
これは多くの場合、みたくないものだったり、
無意識下でフタをしたり封印していたりします。
なので人によっては、みたくもない、思い出したくもない
過去なんて向き合いたくない、となる事でしょう。
ですが、「今を」「未来を」強く変えたい
のであれば、その地中の奥深くの根っこ
を見つける事が明暗を分けます。
闇が深ければ深い程、光に変わった時、
照らすパワーもスゴいものとなります。
「ピンチはチャンス」と言われる様に。
恐怖や闇と向き合う事の中に、
流れを変える大きなヒントが隠れているのだと思います。
(↓には子供の頃に感じたものや思い、大人になってからのもの、このリストアップの時の視点での思いが含まれます)
否定・抑圧・閉塞・✖としてきたもの | 認め・許し・受け入れ・解放し・〇にしよう |
---|---|
表現 | 癒し 解放 隠す必要もない 恐れる事もない 言いたい事も言えるし言っていい 誰も押さえつけたりしないし恥ずかしくもない 閉ざさなくていい 幼少期の体験と信念で歪んでしまっていたけどもう大丈夫 |
AB型 | 中学生頃まですごくコンプレックスで、閉ざしていった2大要因の1つ(もう1つは表現)これがやがて自分はこーゆー人、の思い込み~孤独に追いやってしまう。 珍しい→変わり者と認識する先入観でみられる→血液型を必要以上には明かしたくない→人を型で判断して決めつけられる事への抵抗感と拒絶感→自己嫌悪→段々と内向的で消極的になる→自分をあまり出さなくなる→口数が少なくなる→無口で何を考えてるのかわからないとみられる→その発言や態度を感じてはまた嫌になる→こうして悪循環で、焦ったり恥ずかしくなったり閉じてしまう。 この2大要因が全ての根源だ… しかし自ら選んできて生まれ持ったもの 認め 許し 受け入れ 癒やそう |
恥ずかしさ | これも閉塞感や、変わり者にみられる事への反射や反応でもあり、小さい頃は笑われるのが、穴があれば隠れたかった。 発表の場が苦手だった。プレッシャー こんな事からも余計隠していく様になり、表面的にガードしたり、良くみせようとなっていったのかも。 でももうそんなものは必死に隠そうとしなくても、見栄え良い所ばかりでなくても、全部みてくれやがれ。その方が楽だぜ。 ただ恥ずかしいだけ、と思うと大した事ないし、何をそんなに握りしめていたのか?緊張してテンパってそこまで守るもの?プライドとか良い格好とか、そんなの解放して投げ飛ばしてしまおう。 |
閉塞していき自分の性格だと思い込んでいた | 上記から、新しく出会う人、慣れていない人、に対して人見知りをし、無口になり、心を通わせられる人以外には何か隔たりみたいなものを持つようになっていきました。あまり多くを語らず、隠す傾向にありました。 自分がそんな態度、接し方だったので、相手からすると、ちょっとミステリアス?主体性や主張が少ない?思っている事がわかりにくい?という感じだった事と思います。 コミュニケーションや発表の場、新たに出会う場などで、刺激に触れれば閉じていく、というのがちょっとずつ強くなっていきました。当時はそれが自分、そんな性格、そんなパーソナリティーと思い込んでいました。 自分が発したもの→相手に響き返ってくる→その反応を見て感じては、また再確認して閉じてしまう 自らがつくり上げてしまっていたのですが、その頃はそんな事に気づきもしませんでした。 そんな閉鎖的で閉じこもった所から解放しよう |
20頃まで人生なにも考えなかった | 10代本気でやりたい事もなかったし、探しもしなかった。仕事の事も何も考えなかった。何故だろう…なりたいものもなかったし、極める程のめり込むものもなかった。 … 許そう |
仕事の転職 | 嫌になったら辞める逃げ癖に謝ろう 許そう 原因は共通タイプの人である事ばかりだった。圧力や陰湿なものは苦痛だったけど、当時はその側面、視点からしか見れなかったから嫌でしかなかった。自分の都合や心地良さを重視し過ぎていた。そこにおいては自分が反省せねば。ご迷惑をおかけし申し訳ありませんでした。 |
自分探し人生探求 | ここからが苦しみもがく事になる始まり。世界に興味を持ち出してふらっとLAに。世界観が拡がっていった。 一体自分はどこに向かおうとしているのか?自己の確立を求めるが、本当に一番何をやりたいのだろうか?さ迷い始めた。その当時は、唯一無二・独創性・自分にしか成しえない何かがある様な気がしていた。はい、自意識過剰です。 本気で求めれば求める程 迷宮入りしていった。アウトラインばかりで中身は何もしていない。焦り・自己否定・現実逃避・自己嫌悪・孤独感・無価値観 朝起きた直後から不安で今日もナイ。を繰り返し、時が経ち、常々 何をやっているんだろう、と責めまくり否定しまくり、認めなかった。 自分が何なのか何をしたいのかよくわからなかった。消えてなくなりたかった。でもそんなになってでも、何故か見出そうとし続けた。こんな星の元に生まれてきたのには何かがあると信じていた。でも実際は目指す所がわからず、常にモヤモヤしていた。 普通、好きな事をやっていって極めていき、やり続け、探究し続けた結果こう成った。とか、超越した、とか、突き抜けたり 偉人となり得たり、でも初めから、そんな究極的な所に当てはめようとしていたから、それでは永遠に見つかるものでも、わかるはずもなく、迷走し続けた。ゴチャゴチャ過ぎた。 誰かと居てもどこに居ても、今にあらず、頭の中にはいつもずーっと不協和がグルグル巡り、キワどかった。鬱と希望と現実をまたいでいる様な感じだった。 自虐的になり過ぎた。解放しよう 許そう 認めよう 受け入れよう 癒やそう 耐えてくれてありがとう いつ逝ってしまっててもおかしくない程。うぅ よく今生きているよなぁ。いや何回か④んだな。 ごめん自分 ごめんなさい こんな星の元に生まれてきた事恨んだ事もあったな。よく生き永らえてくれた。ありがとう 全て必ず 完成する 成功する 過程だったんだと繋がる時が来る。もう大分近いよ。だからもう少し。全てひっくり返る日が来る。 本当にありがとう |
条件付き | 今はまだ思い描いている姿ではないから、そこにいけてないから、なれてないから、手にしていないから、そうなるまでは~できない。今を素直に楽しめない。パートナーを探したり寄せ付けたりしない。と、今はまだ無理、とか条件付きで制限してきた。その代わり大切な機会やチャンスを逃しているのかも。そんな制限は取っ払おう |
自己信頼 自己肯定 | 偽り 自分に我慢や嘘 罪悪感 これらを浄化しクリアにしよう 実態の不明なものを追い求め、探し、さ迷い続けてきたから、孤立・空虚から離れられなかった。自愛と受容 解き放ち癒やそう |
生きづらさ | 自分はこんな性格だから、こーゆー人だから、と思い込みに囚われ、変わろうとしてこなかった。囲い込み 閉じ込め フタをして息苦しかった。重かった しんどかった。囚われるな 解放しよう |
夢や成功 活躍している人を見ては焦燥感 | 知識・解る・できる がごちゃ混ぜで勘違いしていた。思想・感性・できる これも同様に。思想と感性ばかり膨れ上がり、中身は伴っていない。自分にもできると勘違いしていた。でも目の前の現実は違い過ぎる。 そんな自分が嫌で認めようとしなかった。ナイナイ ×× と、無い方やできていない方にフォーカスしてしまっていた。焦って空回り。結果や完成、綺麗な所ばかりを見ては、何も示せるものがない自分を責めてきた。 許そう 認めよう ナイ方を見る癖を手放そう |
解釈の仕方でガラリと流れは変わる
僕の場合は、
ABに生まれてきた事
幼少期の恐怖体験による表現の抑圧
二十歳頃からの自分探しや人生探求への長旅?迷走?
これらから孤独の方へと追いやり、
長年黒いモヤがかかっていて、
様々なメンタルの問題、身体の不調、人との関わりにおいて、
闇とならしめていました。
厄介なことに、全ての立ちはだかる壁は、
修行とか試練とか、自分は試されていて、
乗り越えた先に道があると思っていました。
そんなのは不幸街道まっしぐらで、行く末は袋小路でした。
限界まで行って、強制終了が起き、
そこの痛い体験を境目に、
大地を分けるかのように大きくガラリと変われた。
あの時は崖っぷちだったけど、
あれがあったから、そこで大きな気づきに直面し、
“思い込みと信念で創り上げてきた自分”
をぶっ壊す事ができたし、違うステージに来られたのです。
それがなければ、今こうしてここでこの文章も書いていなかったでしょう。
当時のその真っ只中は本当に苦痛でしたが、
おかげで人生の流れが大きく変わった。
ここまで読まれていると言う事は、
何か抱えてたりもがいてたり、
悩んでたりする方なのではと思いますが、
きついネガティブな体験があったとしても、
あのせいで
最悪・散々・終わった・何でこんな目に・何で私が・ついていない・不幸だ 等と
それをそのままにしておかず、
失敗・借金・裏切り・強烈体験
何であっても、あの時のあれがあったから、
今こうなれる事ができた。
こっちに来れた。と。
マインドに機転を利かす事が大切だと思います。
7回転んでも8回目で起き上がって成功したら、
その7回はただの失敗ではなく、
成功へのプロセスだったと転換できるでしょうし、
真っ暗闇のトンネルも抜ける事ができれば
それは全て道が繋がっていたのだとみれます。
なので、どれだけ辛い事や苦しい事、
悲惨な事でも解釈や捉え方で、
そこから光の側面を見出す事ができれば、
後にきっと、その過去のある場面と、この先のとある場面、
もしくは途切れた道も繋がるのだと思うのです。
最悪なシーンや出来事ほど、気づきや手放し、
転換や好転のチャンスを見つけられたりするものです。
是非そちらの方へ活かされてください。
リストアップして、認め 許し 受け入れ
制限やジャッジを解放される事を
強く×2 オススメ致します。
それでは良き一日を!
まる (^O^)/
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